会務NEWS Vol.653
夷川通り法律事務所
弁護士 加藤 英範
2024年夏、彼は事務所で「食道がんと胃潰瘍。レベル4なんや。まずオプシーボで治療受けることにした。」と、何の力みもなくいつもの調子で話した。聞いた私の方が、「大丈夫か」と返すに精一杯だった。
その後、彼は月に一、二度事務所に顔を出しながら、仕事は若い人達に任せ、闘病生活を送られた。事務所の皆が「元気そうだネ」と言っていた。ところが、2025年12月11日、息を引き取ったとの連絡が入った。パブテスト病院にてと。それより前に、最後は緩和病棟へ移るようdoctorから言われているとは語ってたが。
1年半の闘病生活は薬石効なく彼は旅立った。事務所の彼の机は、主のないままに静かである。
1956年、教員の両親の第二子。長男として出生。姉に言わせれば“待ちに待った男の子”だった。
幼き日はわんぱくでガキ大将。自らを「自然児」と語っていたが、夏は海に潜っての魚介類捕り。成績優秀で、高校は同志社高校合格であったが、地元の峰山高校を選んだ。
その後立命館大学に入学し、受験勉強を経て、司法試験合格(1984年)。両親の喜びは大きかっただろう。
修習は京都地方裁判所。弁護修習は不肖加藤ともう一名の弁護士が指導担当だった。1987年、弁護士登録。京都南法律事務所に、更に、1996年5月、私加藤の事務所で加藤・藤田法律事務所を開設した(彼40歳)。
彼は、相談者・依頼者の話を静かに聴いていた。常にである。怒った声を聞いたことがない。常に複数のファンが来所していた。彼の死亡後、少なくない元依頼者から悼い文をいただいている。「謙虚でご誠実なお心」が依頼者の人生に影響を与えたとの旨。「なるべくしてなった弁護士」の旨など。
加えて、元中国残留孤児の方からも「感謝」「御厚情永遠忘れない」旨をいただいている。
彼が残した最後の言葉は「昨今、国の内外を問わず、人間が理性的な存在であることを疑わざるを得ない出来事が繰り返されている。が、総じて良い時代になったと思うようにしている」(事務所発行ニュース)と。混沌の時代を見ずに他界した。その分は幸せだったかもしれない。
彼のモットーは「利他」。
「人間の脳は他人のために働き、社会に役立つことを悦と感じるよう仕組まれている」と語る。この悦を求めてメンタルを強化するためにも「50歳から登山、55歳からマラソン」に取り組んだ。マラソンは走る座禅だと言って(走行距離はすごい、フルマラソンも何度も)。ところが2020年頃からピタ!と止めた。自ら「回転軸をなくしたコマのようで、じっと耐える力をためて、発想を変える」と語っていた。実にその趣味は広い。友人も厚い。多い。
音楽は幼少のころから。成長期にはクラシック、読書(その読書範囲も広い)、カメラ、そしてアルコールで楽しく友と語った。とりわけ「音楽は、いつもそばにあった」と語る。闘病生活も、音楽を友として過ごしたよう。そして「自分史を書いてみたいと画策」しながら、ついに完には及ばずであったか。
本業の弁護活動の合間に、これほどの趣味を、人生の一部としてこなした彼。残された友人達は、その悲しみに伏せながらも、その明るかった彼の人柄を思い出している。